戦場の「羅針盤」18日追稿

前出の「日本人の4割はパソコン無縁」から思い浮かぶイメージですが、日本で言う「パソコン」「スマホ」「タブレット」などを個別にとらえるのは間違いで、その前段の知識として「インターネット」はどこに向かっているか、あるいは、何を目的に開発されたものかを知る必要があります。

一つの考え方として、自分が兵士であったとして、突然に見知らぬ国や地域の防衛で送り込まれた戦場で、そのとき必要な情報が個々の兵隊にリアルタイムに届けられるものは何か?ということで開発された通信システムが「インターネット」と連携した現代の「羅針盤」という位置づけが「PC」「スマホ」「タブレット」と思うのです。

羅針盤」には当然「航海図」が付きもの。現在地はどこで、周辺はどんな地形で、近在の仲間がどういった情況にあり、確認できる敵兵の情況はどうか?といった伝達がリアルタイムに把握できる「羅針盤」。声を出せない情況時にはメールやチャットで。カメラを通して前線の敵の最新兵器や施設の確認を戦隊本部に問い合わせたり、指示を仰いだり。

陸上の戦隊本部が敵の攻撃でやられても、即、空中の機上に指示系統を移す、あるいは海中の潜水艦に移すなど、臨機応変に対応できるうえ、通信網が切断されても網目のネットワークで回遊して作戦も続行できる。
18日追稿
これらは東電福一事故や今回の伊豆大島などトップ不在時の緊急事態の対応にも活かせる。インターネットはそういうために開発されたわけで、しらずに日本の主要部署の肩書きに居座る指導者たちに責任を請け負う資格はない。一般人より遅れているのだから。

こうしたデジタル革命のアイデアをベースに、平和な生活に置いてはツイッターだのFacebook、メールやブラウザーを利用しているのですが、いざ大災害ともなれば先の戦場の話しが生きてくる。こういった意味で日本のガラケー文化は幼稚。iモードや着メロなど、「いざ!」という時の装備は後回しで、目先の娯楽や平和ぼけ的な機能が優先されすぎた結果が、時代の変わり目に対応できずに埋没する結果を生んだ気がします。

国をそのように誘導して来た政府・政治家・省庁そのものが老害ですが、JR北海道にしても、東電にしても、大手家電企業やデジカメ・メーカーも同じ。「いざ(必要最小限)」という想定を学んだ国民の変化に気づかないままに、いまを迎えてしまったと言う意味でガラケーと同じレベルに思えます。

自分がMS-DOS,PC-98,WindowsAndroidらの各パートナーに手を染めなかった理由は、消え去るものに近寄らないという姿勢で来たせい。その背景には「将来の行方」情報を早くに把握して、メディアが誘導する情報(策略)に左右されない選択眼が鍛えられていたからと思う。

ちょうど今日、2週間使って分かったiPhone 5sの良い点と欠点、5cが売れない理由という記事を目にしました。国内受けする内容ですが、読ん見るとハードに片寄って「将来の行方」に役立つ情報は見当たらない。旧来からのアップル・ライターに比べ、その視点はユーザーを良い方向には育てられない一周遅れな感じです。