PCとパソコンのちがい

MSバルマーCEO「Windows Vistaは最も後悔した…」の意味深さという記事を見かけた。自分は長年世界の中の「PC界」の中にあってアップル一本で20年以上過ごす側からみて、Vistaの失敗はある意味予測できました。

実は、アップルも90年代のHyperCardでインターネットの理解不足でWeb先駆者になり損ねたように、同じ間違いをMS社はVistaで侵したと感じます。2000年当時、ジョブズを迎え入れたアップルはMac OS Xで大きく舵を切り、iPodiPhone,iPadへつづく基盤づくりを開始したのですが、MS社は同じ頃、ネットの取り組み方を間違えたのですね。

いま日本のネットワーク環境は、ひかり回線もかなり行き渡り、WiFiと4Gへの取り組みもある意味順調に進み、インターネットに重きを置く時代が急激に進んでいます。ボタンの掛け違い、というのでしょうか。もともとジョブズゲイツMS-DOS時代からネットワークに知識が乏しかったのが、85年にアラン・ケイを迎え入れたアップルは、がぜん、インターネットへとつづくネットワークの重要性と先進性を理解したのがいまの差に繋がったと思います。

タブレット端末やスマートフォンも「パソコン」と捉える海外と違い、日本では、携帯とスマホは別物と勘違いする人が多く、「PCの目的とパソコンの目的」は別な意味に考えたフシがあります。その違いなど気づいた人はほとんど居ませんが、携帯メーカーやパソコンメーカーがほとんど消え去った日本のいまの現状は、NTT(ドコモ)が携帯にネット機能を追加したiモードという余計な寄り道で、PCに電話機能を追加するスマホとの違いを理解しないユーザーを育ててしまった。

そのことは、飛ぶ鳥を落とす勢いの2000年当時のMSを見ても同様で、一方のアップルが会社存亡の危機にあったときでさえ、PCもパソコンも、いづれiPadiPhoneに行き着く時代が来ると予測していた側から見てもVistaは寄り道だった。もちろん、次世代を実現するのはアップルという確信はまだ低かったものの、その当時の主流Winマシーン群でない事だけは理解できました。

Win 2000、meと迷走したMS社を目の前にして、XPがMac OS Xを越えるものでないことも理解しました。また、2000年に入ってから失敗したペンタブレットを出したMS社を見て、アップル以上のアイデアを実現する人材は居ない事も読み取れました。なぜなら、ペンタブレットはその10年前にジョブズがいないアップル社がNewtonという製品で一度早すぎた手本を見せたはずだからです。

ペンタブレットは、Newtonを生産したシャープがザウルスで採用したはずですが、それにはネットワーク機能もなく、紛失の可能性や煩わしさを伴うペンのインターフェースにも違和感を覚えた記憶があります。最終的に現在の指先数本で操作する手法が、これからのジェスチャー操作に繋がる時代とも合致しますし、指紋によるセキュリティーも、腕でなく「手」の範囲でPCもデバイスも、テレビや将来の車も操作する時代に向け発展することに、長年アップルと歩むユーザーの多くは「ナレッジナビゲーター」実現として期待は大きいと思います。

結局日本の各社は、最後まで自前のOSを持てないままWinで動く「事務機と家電」ばかり生産してたに過ぎず、「パソコン」という言葉に、スマホタブレットはもちろん、未来の家電や車、住宅制御へとつづく「PC」に込められた思惑は、メーカーもユーザーも気づかないまま現状を迎えてしまったような気がしています。

なぜなら、50、60代の一般人に、スマホタブレットはもちろん、パソコンでワープロ表計算以外の、メールやネットはもちろんTwitterFacebookなどまともに使える人がほぼ居ない状態ですから。この国は80年代のパソコンブームから、いったい何を目標にやってきたのかあきれています。

原発事故もその延長上(PCとパソコンの違いの理解不足)に起こった事故ととらえています。ある意味、旧日本軍がレーダー用アンテナはあってもアメリカのようなレーダー網まで保持しなかった事にも通じる。