パソコン、PCとは・・・11日追稿

国内では「パソコン」「PC」「Mac」など、電算機やらコンピューターのことをそう呼びますが、自分の場合、この図像や下の写真のようにMacが登場した当時から持ち運ぶイメージが強く、事務用に鎮座する日本的な「複雑なパソコン」の活用イメージはなかった。

80年代初頭、まさに日本がバブル期前夜の自信満々な時代、世界はBasicが終わってMS-DOSを搭載した「PC」の時代を迎え、日本ではその頃から「パソコン教室」などが芽生え、「パソコン」という呼称も一般用語になり始めた。そして間もなく、マウスとウインドウのMacが出現し、PCも96年頃からようやくMacライクで簡単そうなコンピューターに衣替えするも、内実はDOSにWinを加えた新旧二層構造の複雑な「パソコン」時代が続いた。(AppleMac以前にPro DOSで動くPCで一時代を築く) 11日

日本で言う「複雑な-パソコン」はアナログ事務機器(電卓、伝票、経理、電話)の置き換え作業に重きが置かれ、21世紀になって始まったiPod、その後の iPhoneiPadも次世代の「簡単な-パソコン」だと気づかない企業人も多い。スマホが携帯電話の延長と考える人と小型化した「簡単な-パソコン」ととらえる人もいて、後者は次の時代も予想している風だが、前者はその時々の流行を追うだけで継続性も考えない家電的な影響かもしれない。

日本がかって得意だった電話機やFAX、電子事務機器、テレビや家電などに採用されるシステム(マニュアル設定)は、どれもテンキー操作で設定するやり方でズーッとBasic的かDOS的な感じ(自分自身の印象だが)で今も変わらない。21世紀に入って日本が世界の後塵を拝するようになったのはこの「複雑なシステム(基盤orOS)」を変えなかったからと素人ながら感じます。

NHKが20世紀にアナログ・ハイビジョンで世界を席巻しようと試みたフシがあり、NTTもアナログ電話機世界一を自負してキャップテン・システムだかを始めたがどれも失敗に終わった。理由はいろいろ考えられるが、もともと世界規格と始めたわけでなく、日本の市民にこう使え式のお上目線の国民不在システムなので使い方は複雑怪奇でいいのだ。その策略は「原発事件」も同じ背景で、どれも民衆不在の複雑なシステムこそ日本的なのかも知れません。

日本は何故国際標準の主導権を取れないのか?11日

「複雑なパソコン」を見て思うのは、日本の官業システムに都合のいいように作ってきただけで、末端の市民が簡単便利で生活に役立つコンピューター造りなど考えてもいなかった。20世紀の教育現場に生徒達に有効活用されることなく「ゴミ」のように投げ捨てられた「パソコン」があって、国産メーカーの生産は海外企業に移行してしまった現実を見ても、その目的がアップル的でなかったことは間違いない。


このようにMacを持ち運ぶ純正バッグがあったのです!

「アップルの根底にあるシンプリシティ」 にあるように、ジョブズは複雑だけど使え! 式でなく、ワンボタンマウスのようにシンプルさを最優先の哲学としてたようだ。10日追稿